プロセスとしての組織観
各主体は,限られた合理性・認知能力のもとに,さまざまの事実のなかから自らの状況を認識し,自らの状況イメージを形成し,問題にあたることになる.そして,そのさいの有力な準拠枠(a frame of reference for his thinking)が制度にほかならない.そのような意味で,それはまずもってなんらかの強制力をもつ解釈ルールとして機能することになる. しかし,制度を通じることなく状況に対処できる主体の能力が問題となる場合は,既存の制度そのものの不信を招き,組織全体は一挙に状況化する事になる.とくに,そうした新しい動きによって,現体制の既得権益がはげしく脅かされたりまた脅かされる可能性のあるときは,新旧の間でヘゲモニーを握った主体は,自らの権力を保持・強化するために,自らを頂点にした権力構造の維持・強化をはかっていこうとする.これは,自らが目標達成の手段にしかすぎなかった権力が,目的そのものへと転化していくプロセスでもある. S.N.Eisenstadt は個人的自律性と社会秩序を調停するという問題が,含まれているとみている.彼は,交換の媒体が制度化され,象徴的であるときに,それらは多様な交換関係に一般化できるのである.それは,つまり,社会的価値を象徴的財とみなしている(それには愛国心といった「公共財」がふくまれる).これらの財の保持者または,カリスマをもったエリート調達者は,それぞれのバランスと保持する人たちの味わう満足感を高揚する.かくて,カリスマ的エリートは社会の下位単位によって把握されているより特殊的な価値の新しい総合を遂げることにより制度形成過程において戦略的役割をはたすのである. Riesman,D.(1961)は,状況的強制力の存在を拒否権行使集団への権力の拡散による各単位間の反応の類似性に求めた.それは集団成員の大部分の人々が共有している心理的特性であるが,さまざまの社会諸集団に共通の経験からうまれた制度や伝統,規範が個人を拘束したり心理的に負担をかけるのを,個人が自己のもつ欲求性向と矛盾しない形で解決するメカニズムであり,したがって,文化的規制が心理的次元に表出されたものなのである. 個人のレベルであれ組織のレベルであれ,その介在的作用は,政治に対する個人や組織のもつ基本的態度によって影響されるのである.これは政治と文化の関係,...