組織と文化の概念

人類学者,社会学者,心理学者の蓄積された洞察を考慮して,組織文化の明確な,利用可能な定義を提示している.
 Kroeber,A.と Parsons,T.との間で調印された,文化人類学と社会学の相互不可侵協定とでもいうべき宣言の中で,両者は,それぞれ文化を以下のように定義されている.文化とは,人間行動を形づくる上での要因たる,価値,観念,およびその他のシンボル的=意味的システム,ならびに行動を通して作り出された文物(artifacts)にかかわる,伝達され,創造された内容とパターンである.(Singer,M.,1968)
 人間が生物学的限界を越え,また自然環境の制約を打ち破っていく存在だとすれば,文化のパターン化(culture patterning)は,人間的創造性を示す「創発」(emergent)事象なのかもしれない.(Singer)
 有名なTylor,E.(1871)の古典的定義は,文化を,一つの「複合的全体」 (complex whole),すなわち,統合されたシステムとして捉えようとする点に特色がある.このアプローチは,文化を,構造-機能主義的に,あるいはシステム理論的立場から,文化体系(cultural system)として把握しようとする現代人類学にとって,まさしく基本的な指針を示すものであった.
 このようなパターン理論からの「文化」の概念規定を代表するのは,Kroeber & Kluckhohu による以下の定義である.「文化は,行動に関する,また行動のための,はっきり述べられたり,暗黙裏に存在する,パターンから成る(注 1-3 ).それは,シンボルによって習得・伝達されるものであり,文物の形でのパターンの具体的表現を含む,諸人間集団に特有な業績を作り上げる.文化の不可欠な中核は,伝承されてきた(すなわち,歴史的起源をもち,歴史的に選択された)観念,ならびにそれに付された価値である.文化体系は,一方では,行為の所産とかんがえられるが,他方では,爾後の行為を条件づける要素だとも考えられる」(Kroeber,A. & Kluckhou,C.,1952).
 社会人類学の中心概念は社会構造(social structure)である.それは,現存する対人関係(社会関係)の複合的ネットワークないしシステムを指すが,同時に持続性のある社会集団,および階級・役割の内部的な分化をも含んでいる.しかも,そうした構造体系は,機能的なまとまり(functional unity)であり,すべての構成要素が体系の維持存続に向けて釣り合いのとれた貢献をすることによって,保持されるのであ.(Radcliffe-Brown,A.R.,1952)
 前述の文化パターン理論からも,また社会つねに集団における行動ないし関係のパターンとして存在する.集団における行動=関係=文物の全体的パターンとしての「文化」が,その構成部分のたんなる総和にとどまることは決してない.それは,人間の集団生活にとって一つの機能的システムとして存在する.
 さて文化が一つの機能的統合体として存続する際,いかなる属性を備えているだろうか.Murdock は,以下の七つを挙げている.(1)学習性(文化は遺伝的・生得的ではなく,個人が生活体験から習得したもの),(2)伝達性(習得した行動パターンの世代的伝達により,時間的持続性と担い手としての個人からの独立性とを獲得する),(3)社会性(文化は集団成員に分有された集団習慣だある),(4)理念性(集団習慣は,理想的規範・行動様式として概念化される),(5)欲求充足性(文化は基本的・二次的欲求を充足させるテスト済みの習慣的技術である),(6)適応性(文化は自然・社会環境に適応しつつ変動する),(7)統合性(適応過程の所産として,文化の諸要素は,首尾一貫し,かつ統合された全体を形づくり傾向がある.しかし歴史的な出来事が撹乱作用を不断に及ぼすので,完全な統合はありえない.(Murdock,G.P.,1940)
 文化のシステンム的統合が相対的な程度の問題であるということは,文化体系がつねに変動していることを示唆している.
 変動とは構造の解体や形成の変動であると定義するならば,構造論の命題は変動論を変える命題になる.すなわち「構造」は諸用件の充足に正機能を果たさない場合には,解体するが,あるいは正機能を果たしうるように再構造化(形成)される.
 構造は,生産諸要素や強制力や権利や統合象徴や知識など,さまざまな資源と情報を処理するためのパターンであることによって,一定の要件充足能力をもつものである.社会の構造には,情報処理にかかわる構造と,資源処理に関する構造とがあり(注 1-4),前者が後者を制御している.情報処理構造の中核をなしているのは,いわゆる実行構造である.
 今日のシステム論では,機能的用件や機能的必要(functional requisite)といわれるものは,一般的にいって,ある現象が一定の構造を保ちながら可変的な環境のなかで相対的な自立性を有している場合に,こうした状態が存続するためにかならず充足されねばならない必要条件のことである.
 そして,組織やシステムの発展とは上向きの方向性をもった累積的変動であり,より抽象的には「その」機能用件の充足用件の充足水準の向上であり,それは近代化や産業化(とくに技術進歩)によって促進されるのである.問題は,この福祉達成能力ないし生産産出諸力の増大・改善が,だれによって, だっれまたはなんのために, いかなる価値(評価)基準 (valuing /evaluation criteria)にもとづき, いかなる目的 (purpose)のもとに行われるか,にかかっている.
 Parsons らの行為理論においては,価値・規範・シンボルの組織としての文化体系は,パーソナリティ体系に内面化され,システムに制度化されるとき,行為志向を規制する重要な要因となる,と考えられる (Parsons & Shils,1951) .また Gillin は,社会とパーソナリティに対する文化の機能について論じた,まず対社会機能として,以下の四つを挙げている.(1)集団成員の生物学的欲求が充足され,集団自体が維持されるためのパータンを用意する. (2)環境に適応する上で必要な個々の集団成員間の協力を確保するためのルールを準備する.(3)集団における個人間の相互作用のチャンネルを用意し,集団の最低限の統一性を保つ, (4)習得される欲求を作り出しまた成員間でのその充足をはかる.さらに対パーソナリティ機能に関しては,以下のみつ三つが指摘された.(1)個人が学びさえすればよいだけのレディメイドの適応法を準備する,(2)個人がなれたやり方で反応すればよいだけの,なれた刺激を準備する, (3)個人が状況に対する的確な行動を決める際の根拠となるような,状況に伝統的な解釈を用意する. ( Gillin & Gillin,1948)
 Parsons,Gillin の考え方を通して言えることであるが, いずれも文化は , Kuhn のいうパターン・システム(pattern system)として指定されている.パターン・システムというのは,対応する活動システム(acting system)の存続を左右するような機能をもつ,定型化されたシステムのことである.(Kuhn,A.,1975)
 Kuhn は,個人は活動システム(したがってその集合体の社会も同じく活動システム)だが,パーソナリティは,パターン・システムに属するという.行為者主体ではなく社会的役割のセットとしてのパーソナリティは,まさしくパターン・システムであろう.ではともにパターン・システムである文化とパーソナリティの関係はどうか.その場合は,両パターン・システムの相互浸透が眺められよう.各人の役割は占める地位の違いにもかかわらず,共通して文化のパターンを反映したものとなる.逆に,個々の役割内容から抽出された共通特性として,文化型が描き出される.文化とパーソナリティは,個人の文化化(enculturation)を通して互いに他をサポートする.そして両者の相互浸透パターンは当会当該システムの維持または変容への制御機能をもつ.
 さて組織に関する概念については,すでに周知の事実であるが,数ある組織概念のうちでも,現代組織論の先駆者Barnard によるそれは,きわめて卓越したものであるということができるであろう.
 Barnard(1938)によれば,組織はつぎのように定義される(以下,組織とは公式組織のことをいう).すなわちそれは,「2人以上の人々の,意識的調整された,諸活動または諸力の体系にほかならない」と.
 組織の概念をさらに明確なものにするためにはBarnard は,(1)共通目的(2)協働意欲(3)意思伝達,いわゆる組織の3要素を導きだしているのである.すなわち,第1に本来,個人では達成しえない事柄を,換言すれば協働する各に共有された目標を,達成するために形成されたものであり,第2に,組織を構成する人々の,活動を提供しようとする意欲なくして,組織は成り立ちえないことは自明であり,第3に,たとえ一方において共通目的が存在し,他方また協働意欲が存在するとしても,これら両者を結びつける媒介項としての意思伝達がなければ集団的行為の実現をよびおこすことはできないからである.(稲葉,1979)
 つぎに組織の非公式な側面は,公式組織の存在と密接不可分な関連に立つものと考える.つまり,公式組織が形成されるに至るまでに,まえもって非公式的な人的接触と予備的な相互作用とか必要となるからである.非公式な結合関係は,公式組織が弱く業務遂行不十分である時,その間隙をぬって支配権を掌握してしまう.この状態ではしばしば容易に機能障害的なものに変化するおそれがある.他方,経営管理者が専制的であって非公式組織を抑制している場合もおそらく同じような状況となるであろう.
 このようにして,いかなる組織の公式的な側面と非公式的な側面が随伴ししかもそれが個人にとってきわめて重要な意味をもっているとするならば,経営管理者は,まずこれらの事実を十分に認識し,その上で両者のかかわりあいをかんがえなければならないのであろう.
 組織を論ずるにあたって,小集団(small group)が個人ならびに組織に対してもつ意味を指摘しなければならない.すなわち小集団は,一方では組織の基本的使命を達成することにかかわる機能をはたすと同時に,他方それはその構成員に対し彼らの心理的欲求を充足させる機能をはたしている.その意味で小集団は,組織目標と個人欲求との統合を助長する重要な単位であるということができる.
このように集団は,その成員の相互作用から生じてくるが,その特徴は,1 小集団には成員間の相互作用が見出されるという点である.2その相互作用は,直接的対面的なそれであって,間接的なそれではない.3 成員間の相互作用が継続的であるという点である.
普通の状態では,目的が単純な場合でさえ,多くの人々は,自分たちのしていることや全般の状況を見ることができないし,また,したがって中枢伝達経路やリーダーがなければ,特定行為に関連する,あるいはそれを左右する重要な情報を伝えることができないのである.しかし,リーダーといえども,人々が広く分散しているために歩き回る必要があるような場合にはとくに,同時に多くの人々に伝達する時間(及び能力)に限度がある.実際には,普通,15人以下が限度であり,多くの型の協動では5人ないし6人が実行可能な限界である.ある特殊な場合には,この限界がかなり広げられる.そのおもなものとしては,個人的,集団的慣行と,精細な専門用語体系や他の特殊な伝達手段とがともにある,軍事訓練やオーケストラの演奏などのように,行為が狭い限度内でおこなわれる極度に慣行的行動の場合である.伝達過程の困難さは,明らかに組織単位の規模と重要な関係がある.
小集団レベルを超えた大規模な集団構成員は定められた規則(rule)をみずからの行為の判断基準としつつ,それにしたがった役割行動を遂行することになるのである.つまり,行動規則という媒介項が存在しそれが規範として働くことによって,各人の行為の無限定性が制約をうけていくからである.これらの行動規則は,少なくとも大多数の成員によって承認され受容されている.また逸脱者が現れる場合を予想して,行動規則はなんらかの罰則規定をともなっている.このような性格をもった規則は,それが繰り返し使用されるにしたがって,しだいに行動基準として各成員のパーソナリティのうちに内面化されていく.
ここで組織の内部に個人における行動主体の観点からつぎの点を議論をはじめなければならない.すなわち,複数の集団に所属する人びとに対して,それぞれの集団の要求が相反するものであるという状況は現実に起こりうる.この問題は,結局個人は何を求めて行動するのか,あるいはその行動の基準は何なのかを明らかにすることになる.それでは人の行動基準は.基本的仮説としての答えは,経済学でしばしばいわれる「効用の極大化」である.ただ現実的な厳密さから考えば,極大化はありえず,個人のもつ心理学的欲求水準を満たすか否かである.すなわち,それは Simon が提起した「限られた合理性」(bounded ationality)のもと満足化を基準(satisfycing criteria)としたものと考えられるのである.
 この満足化の基準についてここでは,個人は行為の代替案探索の過程で,もし予測さっれる効用(欲求を充足するための必要)が,ある欲求水準(心理的欲求水準)以上であるならば,満足(あるいは納得)してその代替案を選択してしまうと仮定しよう.すなわち,個人はさまざまな欲求をもって集団の中に入ってくる.お互いを知り,それらの人々から成り立つ集団に対して利害の一致,不一致を発見する.しかも共通の目的のために協働行動をとらねばならず,そこに個人の利害を優先させるか集団のそれを優先させるかのジレンマに陥る場合がある.この場合,優先順位の基準は,つまり,集団優先として映る行為も,個人が与えられた環境条件の下で,個人のもつ欲求を充足するための満足基準(認知の側面)による意思決定から生じた行動なのである.
 では,個人は組織や周囲の状況をどうみるか - つまり,組織における行動主体としての個人の行動は何らかの程度で,組織内の他の成員あるいは集団からの影響をうけている.それはかれの意思決定が他者からもたらされる決定前提(decision premises)に,多かれ少なかれ依存しているからにほかならない.したがって,組織内の個人の行動は,行動のパターン(役割の体系)に統合がもたらされる.もし役割が,ある価値的および事実的な前提を明記したものであるならば,それは個々人の意思決定の根底にある諸前提のすべてではないが,予測しうるときには,行動は予測可能であるものであろう.しかし事実前提(factual premises)や価値前提(value premises)がはじめからすべて与えられるというきわめて単純な場合を除いては,人間は意思決定のためにぜひとも決定前提の交換をおこなわざるをえないのである.
 Simon によれば,「行動のパターンは,集団のメンバーに,その意思決定に影響を情報,仮定,目的,態度のほとんどを提供するし,また,集団の他のメンバーがなにをしようとしており,自分の言葉に対して彼らがどのように反応するかについての,安定した,理解できる期待を彼に与えるのである.」(H.A.Simon,1976)
一人の人が他の人々と個人的に関係をもち,集団とも関係をもつのみでなく,集団相互の間にも関係が生ずる.また組織は,大きな国民社会や地方社会と総称される非公式組織の複合体の上に,あるいはそのなかに,公式組織のネットワークがある.この公式組織網を検討してみてすぐわかることは,そのなかには明らかに支配的な,またかなり包括的な,いくすじかの公式組織があり,他のすべての公式組織は,直接間接にそれらの公式組織のすじに付属し,従属していることである.
このように,組織間の規則・規範の形成や維持に影響を与える要因やそのメカニズム,変化プロセスの解明はきわめて重要な問題となる.つまり,規則および規範による組織間の調整を意味する組織化は組織間秩序の形成・維持であり,不確実性を減少していくことであることから,組織間構造および組織間文化の形成と深く結びついているからである.
 Presthas,Robert.(1978)とColeman,James S.(1974)が指摘したように,われわれは組織社会のなかで暮らしている.組織内の個人もそうだが,組織自身が他の組織のネットワークとかシステムの一部として存在している(J.Pfeffer,1987).もし,組織あるいは組織集合レベル(collective level)の集団間に競争や利害対立が存在し,しかもなおその組織全体が協働と存続が確保しなければならないとするならば,意思決定にいたる前についてコンセンサスを得るために成員をたえず統合する積極的な努力がなされなければならないであろう.組織内の個人も,たとえ前の意思決定に反してでも,自分自身で考え,正しいと考える行動をとるように期待される.不服従であることもその行動が良い結果を導くならば,プラスに評価される.こうした「雰囲気」を理解するためには,この組織が基礎をおいている仮定や前提を探さなければならない.
  以上,組織は,行動主体としての個人の集まりから成る社会体系にほかならないのである.諸個人と集団と組織全体との三つが,組織社会の環境内で相互作用(interactive)して.互いに影響し合う社会関係であって,たんなる個々人の集合ではない.したがって,組織中の成員が組織内単位のヒエラルキーの中に生物的な個体として存在するものではなく,社会的,文化的存在として生きることを当然の前提であるとする.

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