学習された解とは
Homans(1950)は,いかなる社会的システムも3種の環境,すなわち物理的環境(地域,気候など),文化的環境(規範,価値観,その社会の目標)および技術的環境(仕事を遂行する上でそのシステムが活用できる知識と手段の状態)の中に存在する.
人間の活動のうちで,生物学的種としての人間が,生まれながらに持っている欲求や動機によって決定されっているのは,ほんの一部にすぎないということである.それよりもはるかに大きな決定要因は私たちが学習した動機や反応の仕方であるが,これらはいずれも,われわれの文化,家庭状況,社会経済の背景- 環境や,ある時点における「いま,ここで」の - 状況,を反映している.つまり,われわれの動機や欲求は,自分がおかれている状況をどうみるかによって大部分が決まり,その見方自身,大部分がそれまでに行われた学習によってきまるのである.
学習は心理学者によって,刺激にたいする反応におけるかなり永続的な変化として,定義されている (English and English,1958;Hilgard,
1956:3;Wickens and Wayer,1955:28). 大部分の学習理論の中核は,刺激- 反応の関係である(表 3-1).刺激は解釈され,個人のなかに反応を作りあげる.後続する刺激によってこの反応を連続的に強化することは,個人の行動に多かれ少ながれ永続的な変化を生み出す.これが学習である.
組織文化は「学習された解」をその主要な要素として定義される.この学習には「積極的問題解決状態」(positive problem-solving situation)と「不安除去状況」(anxiety-avoidance situation)という2つの異なるタイプがある.積極的問題解決状況では,ある問題解決に有効な解が,同様の問題に対して繰り返し適用される.ここでいう解には,特定の行為,問題の認識の仕方や考え方,信念や感じ方,あるいは状況のある側面についての仮定などが含まれ,それらは問題解決に役立つ限り強化される.
これに対して,不安除去状況では,苦痛を取り除いたり,不安を解消するのに役立つ思考様式や感じ方,行動様式を学習する.不安除去状況である認知的反応が学習されると,それは不安や苦痛の原因が見当たらない状況では,一種の「社会的防衛メカニズム」(social defensive mechanism)として自動的に強化されていく傾向がある.人間は認知的・社会的不安を回避し,ある程度の安定性を必要とするから,不安除去状況の学習に基づく文化的要素は,積極的学習状況によって得られるものよりも安定性が高いと考えられる.(Solomon, Kamin, and Wynne,1953; Solomon and Wynne,1953; Mednick,1964)
行為・行動が個人によって採用される過程は,本質的に,学習一般の発生過程の一つの特殊例ということができる.行動についてのさまざまな刺激は,コミュニケーションの情報源から個人に到達する.行動について,つきづきに流されるコミュニケーションは,それにたいして個人が反応をおこすまで蓄積され,それて個人は最終的に行動を採用するか,あるいは拒絶するのである.
行動の採用は,個人による意思決定が必要である (注 3-2).変化の意味と結果を評価する過程である.社会的な観点から見ると,人間は基本的に他人との相互作用から自己概念を作るのである(Cooley,1922;Mead,
1930).換言すれば,人はそれぞれ自分自身についての他人の見方と自分の内的葛藤の解決に基づく自分のおこった反応を正当化するまたは過剰補償といった防衛機制がある.つまり,事後の正当化はそれである. (Weick,1969; Aronson,1972)
[3-2]
どんな社会も,その成員を,まず決定し,ついで自己の行動に個人的責任をとる能力に主としてささえられている.ところがわれわれの活動の大部分か他人の協力に依存し,他人によって規制されるとなると,はなしは違ってくる.人の自主性にとって重要なのは,そのひとに深く関係のあることからについての決定に参加させなければ,専制への服従という無力感が生じるのは当然であろう.
ある時代,ある場所ではそれは,金銭と財産に関する決定である(例えば,課税に同意すること).また時代が移ると,例えば思想,言論の自由であり,貧困からの自由,恐怖からの自由である.特に,予測できない環境で起こったさまざまの出来事は,極端な欠乏状態にあっては,環境の個人にたいする影響力が絶対的なものになりうることをしめしている.人間としては変わらないまま,生のびるか,生のびるために適応するか,すなわち人間は「極限」まで追いつめることが,一定の限度を越えると,人間以下の生活よりもむしろ死を選ぶという意味があるのは事実だが,しかしこの恐ろしい選択への最初の一歩は慣性,惰性があると報告されている (Bruno Bethlehem, The Informed Heart, The Free Press, 1960).
人間の活動のうちで,生物学的種としての人間が,生まれながらに持っている欲求や動機によって決定されっているのは,ほんの一部にすぎないということである.それよりもはるかに大きな決定要因は私たちが学習した動機や反応の仕方であるが,これらはいずれも,われわれの文化,家庭状況,社会経済の背景- 環境や,ある時点における「いま,ここで」の - 状況,を反映している.つまり,われわれの動機や欲求は,自分がおかれている状況をどうみるかによって大部分が決まり,その見方自身,大部分がそれまでに行われた学習によってきまるのである.
学習は心理学者によって,刺激にたいする反応におけるかなり永続的な変化として,定義されている (English and English,1958;Hilgard,
1956:3;Wickens and Wayer,1955:28). 大部分の学習理論の中核は,刺激- 反応の関係である(表 3-1).刺激は解釈され,個人のなかに反応を作りあげる.後続する刺激によってこの反応を連続的に強化することは,個人の行動に多かれ少ながれ永続的な変化を生み出す.これが学習である.
組織文化は「学習された解」をその主要な要素として定義される.この学習には「積極的問題解決状態」(positive problem-solving situation)と「不安除去状況」(anxiety-avoidance situation)という2つの異なるタイプがある.積極的問題解決状況では,ある問題解決に有効な解が,同様の問題に対して繰り返し適用される.ここでいう解には,特定の行為,問題の認識の仕方や考え方,信念や感じ方,あるいは状況のある側面についての仮定などが含まれ,それらは問題解決に役立つ限り強化される.
これに対して,不安除去状況では,苦痛を取り除いたり,不安を解消するのに役立つ思考様式や感じ方,行動様式を学習する.不安除去状況である認知的反応が学習されると,それは不安や苦痛の原因が見当たらない状況では,一種の「社会的防衛メカニズム」(social defensive mechanism)として自動的に強化されていく傾向がある.人間は認知的・社会的不安を回避し,ある程度の安定性を必要とするから,不安除去状況の学習に基づく文化的要素は,積極的学習状況によって得られるものよりも安定性が高いと考えられる.(Solomon, Kamin, and Wynne,1953; Solomon and Wynne,1953; Mednick,1964)
行為・行動が個人によって採用される過程は,本質的に,学習一般の発生過程の一つの特殊例ということができる.行動についてのさまざまな刺激は,コミュニケーションの情報源から個人に到達する.行動について,つきづきに流されるコミュニケーションは,それにたいして個人が反応をおこすまで蓄積され,それて個人は最終的に行動を採用するか,あるいは拒絶するのである.
行動の採用は,個人による意思決定が必要である (注 3-2).変化の意味と結果を評価する過程である.社会的な観点から見ると,人間は基本的に他人との相互作用から自己概念を作るのである(Cooley,1922;Mead,
1930).換言すれば,人はそれぞれ自分自身についての他人の見方と自分の内的葛藤の解決に基づく自分のおこった反応を正当化するまたは過剰補償といった防衛機制がある.つまり,事後の正当化はそれである. (Weick,1969; Aronson,1972)
[3-2]
どんな社会も,その成員を,まず決定し,ついで自己の行動に個人的責任をとる能力に主としてささえられている.ところがわれわれの活動の大部分か他人の協力に依存し,他人によって規制されるとなると,はなしは違ってくる.人の自主性にとって重要なのは,そのひとに深く関係のあることからについての決定に参加させなければ,専制への服従という無力感が生じるのは当然であろう.
ある時代,ある場所ではそれは,金銭と財産に関する決定である(例えば,課税に同意すること).また時代が移ると,例えば思想,言論の自由であり,貧困からの自由,恐怖からの自由である.特に,予測できない環境で起こったさまざまの出来事は,極端な欠乏状態にあっては,環境の個人にたいする影響力が絶対的なものになりうることをしめしている.人間としては変わらないまま,生のびるか,生のびるために適応するか,すなわち人間は「極限」まで追いつめることが,一定の限度を越えると,人間以下の生活よりもむしろ死を選ぶという意味があるのは事実だが,しかしこの恐ろしい選択への最初の一歩は慣性,惰性があると報告されている (Bruno Bethlehem, The Informed Heart, The Free Press, 1960).
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