価値の交換理論
Homans,Blau,Stolte & Emersonを代表とする交換理論 (Exchange Theory)は,人々の相互作用が,報酬の交換過程であると考え,人々は他者への報酬にはらう犠牲を少なくし,受け取る報酬をできるだけ大きくするように行動し,関係から得る報酬が有利であれば関係を持続し,不利であれば関係を改善あるいは停止するとする視点から,結合と分離の微視的な相互作用の動的過程に光をあてたが,さらにこのような交換過程が人々の組織化を促し,集団間の連結と競争,対立と支配をもたらすとして,社会構造の巨視的過程にも交換の視点を拡大させた.
Blumer は,人々の間の相互作用が,人間の事物にたいして与えた意味にもとづいて行われ,このような事物の意味は,事物そのものにそなわっているのではなく,人々の間の相互作用から生じ,事物の処理において解釈されると考える.
ところで,相互作用がおたがいの心像にもとづいて行われるとすれば,ここに問題となるのは行為者の他者に与える印象の管理である.この点に注目したのがGoffman(1959) である.
すでに Simmel (1900,1908) は人々の相互作用が,相手についての相互の心像にもとづいて発展するとともに,相互の心像がまた現実の相互作用と関係にもとづいて発展し,この相互の心像が,それぞれの側の誠実と隠蔽,誇張と虚偽,歪曲と誤解とによって,知と無知,真実と誤謬とからなることを示すとともに,それがまた価値の交換過程でもある.こうして相互作用は,主体間の象徴を媒介とする心的な相互の演出と解釈のもとで行われる価値交換の動的過程である.
どんな文化にも,価値,規範,期待,慣習の複合体がある.そしてそれぞれの価値から,数多くの規範,期待,慣習が生まれている.こうした複合体をここでは「価値システム」と呼ぶことにしょう.
Shibutani は価値を次のように定義している.「価値づけは行動主義的観点からみると,一種の性向である.すなわち,人が望んでいること,避けたく思っていること,破壊しようとしていることなのである.人がある対象物に特別の興味をもっているとき,その対象物には価値があるといえる」. Rokeach もまた,いくらかこれと類似した定義を価値についておこなっている.「私は価値とは信念の一種であり,人の全信念システムの中心に位置しているものであって,人がいかにふるまうべきか,また,ふるまうべきでないかに関するもの,あるいは,人が達成するに値する,あるいは値しない目標状態に関するものであると考える」.
このようにして,価値は人が自分自身の行為や他人の行為を判断する基準となっている.つまり,個人が自分と,(1)自分自身,(2)相互作用を行う他の人々,(3)日常に必要とするものを作り出す機具,(4)まわりの自然,そして,(5)救済を達成するのを助けるとかんがえられている絆,との関係を決定する基準となる. (K.S.Sitaram & R.T.Cogdell,1976)
文化人類学者のLinton,R.(1945)は,一連の状況に共通して存在し,個人の内面的反応を喚起しうる何らかの要素,すなわち価値と,そうした要素によって喚起された内面的反応,すなわち態度との統合体を,価値=態度体系(value-attitude system)と名付けた.
Newcomb,T.は態度を,目標指向性をもった動因としての動機(motives)が喚起されるための態勢(一般化された準備状態)だとし,動機そのものとは区別する.態度は,対象に対する個人の持続的な一般的指向性を表明するのに対し,動機は,一時的かつ特殊的な志向性を示す概念である.例えば,鱗翅類に好意的な態度をもつ昆虫学者が,ある瞬間には特定の種の蝶を捕えることに動機づけられる,といったぐあいに.このように持続的・一般的志向が態度の基本属性だとすれば,社会的態度は,社会的対象に対する一貫した反応傾向のパターンを意味することになろう.
Blumer は,人々の間の相互作用が,人間の事物にたいして与えた意味にもとづいて行われ,このような事物の意味は,事物そのものにそなわっているのではなく,人々の間の相互作用から生じ,事物の処理において解釈されると考える.
ところで,相互作用がおたがいの心像にもとづいて行われるとすれば,ここに問題となるのは行為者の他者に与える印象の管理である.この点に注目したのがGoffman(1959) である.
すでに Simmel (1900,1908) は人々の相互作用が,相手についての相互の心像にもとづいて発展するとともに,相互の心像がまた現実の相互作用と関係にもとづいて発展し,この相互の心像が,それぞれの側の誠実と隠蔽,誇張と虚偽,歪曲と誤解とによって,知と無知,真実と誤謬とからなることを示すとともに,それがまた価値の交換過程でもある.こうして相互作用は,主体間の象徴を媒介とする心的な相互の演出と解釈のもとで行われる価値交換の動的過程である.
どんな文化にも,価値,規範,期待,慣習の複合体がある.そしてそれぞれの価値から,数多くの規範,期待,慣習が生まれている.こうした複合体をここでは「価値システム」と呼ぶことにしょう.
Shibutani は価値を次のように定義している.「価値づけは行動主義的観点からみると,一種の性向である.すなわち,人が望んでいること,避けたく思っていること,破壊しようとしていることなのである.人がある対象物に特別の興味をもっているとき,その対象物には価値があるといえる」. Rokeach もまた,いくらかこれと類似した定義を価値についておこなっている.「私は価値とは信念の一種であり,人の全信念システムの中心に位置しているものであって,人がいかにふるまうべきか,また,ふるまうべきでないかに関するもの,あるいは,人が達成するに値する,あるいは値しない目標状態に関するものであると考える」.
このようにして,価値は人が自分自身の行為や他人の行為を判断する基準となっている.つまり,個人が自分と,(1)自分自身,(2)相互作用を行う他の人々,(3)日常に必要とするものを作り出す機具,(4)まわりの自然,そして,(5)救済を達成するのを助けるとかんがえられている絆,との関係を決定する基準となる. (K.S.Sitaram & R.T.Cogdell,1976)
文化人類学者のLinton,R.(1945)は,一連の状況に共通して存在し,個人の内面的反応を喚起しうる何らかの要素,すなわち価値と,そうした要素によって喚起された内面的反応,すなわち態度との統合体を,価値=態度体系(value-attitude system)と名付けた.
Newcomb,T.は態度を,目標指向性をもった動因としての動機(motives)が喚起されるための態勢(一般化された準備状態)だとし,動機そのものとは区別する.態度は,対象に対する個人の持続的な一般的指向性を表明するのに対し,動機は,一時的かつ特殊的な志向性を示す概念である.例えば,鱗翅類に好意的な態度をもつ昆虫学者が,ある瞬間には特定の種の蝶を捕えることに動機づけられる,といったぐあいに.このように持続的・一般的志向が態度の基本属性だとすれば,社会的態度は,社会的対象に対する一貫した反応傾向のパターンを意味することになろう.
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