価値システム

どんな文化にも,価値,規範,期待,慣習の複合体がある.そしてそれぞれの価値から,数多くの規範,期待,慣習が生まれている.こうした複合体をここでは「価値システム」と呼ぶことにしょう.
 文化人類学者と心理学者は価値(value) を,宗教的要因と情動的要因とに基づいて分類している.文化人類学者 Shibutani,T(1961) は価値を肯定的価値と否定的価値とに分けた.また,心理学者Rokeach,M.(1973) は価値を,末端的価値と道具的価値とに分けた.ここでは価値が文化に対して持つ重要性の度合に応じて,一義的価値,二義的価値,三義的価値に分類することにしよう.ただし,こうしたそれぞれの価値は肯定的であることも否定的であることもある.さて, Shibutani は価値を次のように定義している.「価値づけは行動主義的観点からみると,一種の性向である.すなわち,人が望んでいること,避けたく思っていること,破壊しようとしていることなのである.人がある対象物に特別の興味をもっているとき,その対象物には価値があるといえる」. Rokeach もまた,いくらかこれと類似した定義を価値についておこなっている.「私は価値とは信念の一種であり,人の全信念システムの中心に位置しているものであって,人がいかにふるまうべきか,また,ふるまうべきでないかに関するもの,あるいは,人が達成するに値する,あるいは値しない目標状態に関するものであると考える」.
 このようにして,価値は人が自分自身の行為や他人の行為を判断する基準となっている.つまり,個人が自分と,(1)自分自身,(2)相互作用を行う他の人々,(3)日常に必要とするものを作り出す機具,(4)まわりの自然,そして,(5)救済を達成するのを助けるとかんがえられている絆,との関係を決定する基準となる. (K.S.Sitaram & R.T.Cogdell,1976)
 行動の最も強烈な動機決定因のあするものは状況的であり,また役割関連的であることをすでに指摘された (Schein,1980).つまり,人間性を生物的起源を一般化使用とする仮定は誤りのである.実際のところ,文化的価値は社会における平穏な暮らしをかき乱すような人間性を抑圧することもある.
 価値は必ずしも両端にあるわけではない.まず,ある文化で肯定の端にある価値が,別の文化では否定の端にある,さらに別の文化では中立的であることもある.そして,これと同様に,ある文化で一義的な価値が,別の文化では二義的であり,さらに別の文化では何でもないこともある.

 価値は世界中の文化にある信念,期待,慣習の複合体の下に隠れてしまっているようである.人々は価値について話すことはできるが,価値が実際にはどのようなものであるかを知るのはむずかしい.これは,絶対的真理,あるいはトートロジーについての話と似ている.ここで,私たちは価値のような用語や,そのような用語が出てくる命題を教える上で役立つということだけで正当化している.(注)
行為の報酬獲得の成功が,その人の行為反復に影響を及ぼす.ある人にとって正の価値を持つ行為結果を私たちは報酬(reward) とよび,負の価値を持つ結果を罰(punishment)とよぶ.その尺度でのゼロ点はその人が自分の行為結果に無関心(indifferent) になるところである.罰の回避や逃避可能にするような結果をもたらす行為はどのような行為であっても,まさにその結果によって報酬を与えられているから,人はその行為をいっそう多く行うようになるであろう.そこで二種類の報酬と罰があることになる.すなわち,本来の報酬と罰の回避という報酬と本来の罰と報酬の除去という罰である.ある人がある行為をすることをやめさせるだけでいい時には,罰は十分役立つであろう(時は効果のない手段であるが,しかし,罰を与えている人に大きな情緒的満足を与えるかもしれない).しかし,その時でさえ,もし彼の行為が別の側面で報酬的であるなら,その罰があまり繰り返されず,厳しくない時にはその行為はすぐもとにもどるであろう.
 価値が人間に生得的であるということのほかに,それがまた学習されるということである.ある価値は,より基本的な(primordial) 価値の獲得に成功した行為と結びつくことによって学習される (Staats and Staats,1963). (人が非常に高い価値をおく精神的・理念的な報酬がある.しかし他「低次の」欲求が満たされるならのことであるが).
 しばしば,変化したようにみえる文化的価値は,実際には,人々の必要性と時代が変化した結果として新たな意味を与えられた昔ながらの価値である.時に,異なる文化がお互い影響し合うことによって,よく似た価値をみてとれることがある.
 
[注]
この次元は,Wbeer(1949) よってはじめて明らかにされた権威の類型化に非常に類似した次元に到達する.
1 伝統や宗教にもとづいた純粋な教義.
2 顕在化した教義 - すなわち,賢人,公式のリーダー,予言者,国王などの権威に対する信頼にもとづいた知恵.
3 「合理的-合法的」過程を通じて,引出される真理 - 絶対的真理などはなく,単に社会的に決定された真理だけがあると最初から認めるところの法的手続の手段によって,確定する場合のようなもの.
4 対立や討論に生き残るものとしての真理.
5 機能するものとしての真理,純粋に現実主義的基準.
6 科学的方法によって確立された真理 - これは再び,ある種の教義となる.
この次元は,真理が決定される基盤に焦点をあてるばかりでなく,「不確実性の回避」( Hofstede,1980) や 「曖昧さに対する許容度」(Adorno and others,1950) と関連づけることができる.

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