現代経営組織の管理問題
ホーソン実験の成果を1930-40年代に理論化したのが人間関係論である.1920年代の産業合理化運動以降,機械化の進展は,労働の細分化,標準化,単純化をもたらし,労働効率を増大させた.その結果,単調感,疲労感が強まり,労働者の能率を低下させると同時に彼らの不平,不満と反抗心を高めた.29年大恐慌はこの傾向をよりいっそう進め,1930年代は,労働者の団結権,集団交渉権,ストライキ権の認め,不当労働行為を禁止した全国労働関係法(1935年)や公正労働基準法(1938年)の制定と産業別労働組合会議の成立により,企業は,労働者の不平・不満が労働組合運動に向かわないように,一定の満足感を与えることが必要とされた (Mayo,E.,1945).
そこで,Mayo は集団相互間に存在する協働意欲の減退という現象を管理問題にお再検討によって解決しようとしたのである.彼は,社会的・人間的能力をもつ管理者が,組織のなかに協働関係をもった集団を作り出すという方法を主張する.この点で彼は,人間を連帯的・献身的・感情的にとらえる管理の必要性を主張したのである.
Roethlisberger(1939,1941) は,企業を経済目的遂行の組織だけでなく,そこで働く人間・集団を効果的に協力させる人間的な組織とみる.人間の協働が感情の問題であると主張した.(Etzioni,Amitai,1988 は,Socialbonds は競争の社会的抑圧を明らかにした).
感情の表明は,その人の個人的・社会的背景に起因し,その人を取り巻く社会的脈絡から切り離しては理解できない.以上の立場に立って,彼は組織における人間問題を,1 組織内のコミュニケーションの問題,2組織内の均衡状態の問題,3 個々人を状況に有効に適応せしめる問題として扱う.
個人は,技術的,社会的,論理的な才能と態度・信念・生活様式をもって職場状況に置かれる.個人は,その経歴と経験という過去の状況に応じて職場に特定の希望と期待をもつ.さらに,個人は特定の人々と働き,一定の相互に規定・容認された人間関係を作る.また,職場状況や家庭関係といった現在の状況にも影響される.個人の満足・不満足は,彼が以上のような状況に対する要求とその状況が課す要求に関係する.これらが調和しなければ均衡を崩し,不満をもち,協働への意欲を失い,その能力を十分に発揮できない.その場合,(1) 個人が要求を修正する.(2) 状況の変革により要求を充足する.(3) この両者,といういずれかの方法で均衡が回復される.
組織内の人々の相互関係は,成文化された規則や集団の日常慣例のなかで承認・確立している.これは人間組織の公式的な側面で,そこで費用・能率の論理 (logic of cost and efficiency)が貫徹し,それによって評価される.このような公式組織のほかに,個々人は相互に親密な関係によって自然発生的な社会集団=非公式組織も形成している.この非公式組織には,(1) 組織的には集団の一員であることを意識させ,対外には集団を単一体とする信念の体系をもち,(2) 集団構成員を自動的に協力させる一定の態度あるいは行動の規範・慣例・常規をもつ,という共通の性質がある.そこには感情の論理(logic of sentiment)が貫徹し,構成員間に安定感・帰属感・一体感を醸成するという役割を担っている.以上のように,個々人の相互作用として公式組織は人々を仕事上の能率基準で評価する体系と,非公式組織は人々を社会的行動規範で評価する体系をもっている.両側面における行動のパターンと価値基準は相互に関係・依存しており,それが均衡・調和しているときに効果的な協働が確保できるのである.
人間関係論の批判は,例えば,Blumberg,P.(1968)は,生産性とモラールの上昇を説明するのは,実験室の労働者が労働条件の設定に決定的な役割を演じたことにあり,実験室には小規模だが純正な労働者参加が導入されており,実験室における改善に貢献したのはこの参加型管理という要素であったと結論づけている.意思決定への参加は限られた範囲であったが,「権力構造の変化(自主管理)は心理的次元(仕事に対する責任感と一体感の増大)およびスティタスの次元(経営側との社会的距離の縮小)とを通じて作用し,著しい改善を生んた」のであると指摘している.
人間関係論が組織における人的要因の重要性を指摘して以来,動機づけや集団行動の研究が活発化した.これらの理論は,1950年代以降急速かつ広範に展開した行動科学の成果を踏まえたものである.これには,人間を行動に駆り立てる要因を人間の内側からとらえ体系化しようとするMaslow(1954) の「欲求階層説」や McGregor(1960) の「X-Y理論」と,人間の外側にある要因によって体系化しようとする Herzberg (1966,1967) の「動機づけ衛生理論」である.さらに,個人と組織の統合を意図したArgyris(1957)の「未成熟-成熟理論」や人間の欲求や動機づけを直接検討していないが,一定の組織形態のもとで人間が示す反応・行動に関心をもっていたLikert(1967)の「システム理論」が含まれる.以上,ある種の発達的観点から,McClelland(1961,1976),Alderfer(1972)の欲求分類を含めて,表 10-1 に要約することができる.
表 10-1 Maslow, Alderfer, McClelland, Herzberg による
基本的動機カテゴリーの比較
Adapted from E.H.Schein(1980),Table 5.1
Likert は,個人の動機づけではなく,集団の動機づけを目的とした理論を提起した.そこでは,伝統的なマン・ツー・マン型組織に代わって,組織全体が「連結ピン」で結合される複数の集団に分けられ,そのことで上下の意思疎通が促進される「複合重複集団組織」が集団の潜在力を発揮させるものとして評価される.そして上司だけてなく各構成員が高い業績目標をもつべきことが主張され,それは強制されたものであってはならず,「従業員自身の欲求が満足させられるような高水準の目標を従業員が自ら設定できるようなメカニズムをつくりだすことが必要」である.システムでは,このメカニズムは集団的意思決定と重複集団組織によって提供されているのである.
表 10-2 は,Likert が管理方式を区分する指標の一例である.
Adapted from Likert,R.(1967).
以上の成果を踏まえて登場したのは人的資源論である.Miles (1975) は「参加は公的な権威への抵抗を和らげる潤滑油」とみなし,参加それ自体が有効とはしない.それに対して,「人々の価値と能力に関する基本的な仮説,つまりすべての組織構成員を未開発な資源の宝庫」ととらえるのである.(表 10-3)
表 10-3 参加型リーダーシップの2つのモデル
Adapted from Miles,R.E.,"Human Relations or Human Resources?",pp.151.
人的資源は,身体的な技能やエネルギーだけでなく,創造力と責任行動・自己管理された行動・自己統制された行動をとる能力を含んでいる.そこでの管理者の職務は,命令したり協力を確保するだけでなく,配下のあるすべての資源を利用できる環境を作ることにある.その際問題となるのが参加である.
March & Olsen(1979) は組織,参加者間の価値前提に一貫性がなく,目標が不明瞭な状況下での組織的意思決定過程を研究した.彼らによれば組織には,相互にルースに結合された(loosely coupled)問題,解,参加者,選択機会の流れがあり,どの選択機会に誰が参加できるのか,どの選択機会でどのような問題を取り上げることができるのかは,組織構造に依存するが,その因果関係はルースである.したがって組織の意思決定過程は,あたかもごみ箱の中で4つの要素が出合うようになされることになる.彼らはこのモデルを「ごみ箱モデル」(Garbedge Can Model)と名づけ,コンピュータ・シミュレーションを利用して,組織的意思決定を研究した.
問題点 - 組織の有効性 (organizational effectiveness)
高い業績と同時に成員個々人の大きな満足を達成している集団を効果的な集団という.成員の満足を犠牲にしていくら短期的に生産性を上げえても,不満の高まりはやがて生産活動を低下させるにいたるからである. どのような管理運営が集団の効果性 (group effectiveness) を高めるかについて,高生産を志向する規範と高い凝集性,円滑で正確なコミュニケーション,参画感を可能にする勢力構造,課題遂行機能と集団維持機能と共によく果たすリーダーシップ・スタイルなどなど多くのことが提唱されてきたのである.
すべての要素を調和的に処理しないために危機が生ずれば,疑いもなく,そのときこそ全体を感得する技量のある管理者が修正行動をおこなわねばならない.しかし多くの場合は,共通の全体感が明白でなく,また事実あっても,効果的でないこともある.(注 10-1)
例えば,1963年のHaire,Ghiselli,Porterの先駆的な研究によると,彼らが調査した14カ国は相違点よりもむしろより多くの類似点をもっていたが,そうした国は産業系列ではなくむしろ民族系列の一群であった.Hofstede,G.(1980) は,アメリカの経営学者やマネジャーによって強力に推奨された参加型の管理アプローチ- Y理論,システム4,マネジリアル・グリッド(managerial grid)など - が,すべての文化に適合するものではないと結論づけた.権力格差の大きい文化にいる従業員は,マネジャーが指揮してくれることを期待し,彼らは自由裁量の決定権を任されることを不快に感じるようになる.文化的に参加型管理がよく合う国 (アメリカ,イギリス,スウェーデンなど)のなかでも,組織は現地文化に適合した参加形態を採用しなければならない (Foy,N.,& Gadon,H.,HBR,May-June 1976:71-84).
文化的に適合したリーダーシップ以外に,何が高い労働生産性と職務満足を引き起こすのであろうか.組織は,望ましい行動をどのように維持するのであろうか.従業員や彼らの環境のなかのどのような力が,かれらの行動に刺激を与えたり,やる気をなくさせるのであろうか.それらが普遍的であるか,それとも文化制約的であるのかどうかを確認しなければならない.(N.J.Adler,1991)
組織全体の有効性という観点からみた統制は,けっして瑣末なことではなく,むしろ決定的に重要である.したがって,全体という観点がつねに支配的であるのは,能率- それには結局のところ有効性がふくまれる - との関連においてである.
異なる組織文化は,問題解決の基準に対する重みづけが異なり,したがって,ほとんど確実に異なった結論に達する原因は,コミュニケーションの問題である.たとえば,一つには何年かにわたって組織のメンバーが一連の共通の経験をする結果創り出され,一つには,組織の初期の経験からくる理念あるいは,中核となる少数の個人影響から作り出される共通の視点は,それを共有する人の間のコミュニケーションの効率を高めるが,異なった体系をもった人たちとのコミュニケーションの効率を減殺する.
これまで「組織の有効性」という言葉を随所で使ってきたが,それを評価することは,本来は大変あいまいで複雑である.個人にせよ,集団にせよ,組織にせよ,目標がただ1つしかない場合には,その目標に向かっての進歩を測ることはたやすい.たが,その場合でもなお2つの問題がおこってくる.1 もしその個人,集団,組織が選んだ目標が誤ったものであったらどうであろうか. 2 複数の目標が同時に存在し,組織の最終的機能を満たしながら,目標間に有効性の基準とする優先順位をつけることは,意外に複雑な過程である.
すべてのシステムは複数の機能を持ち,かつある環境内に存在し,そこからさまざまな投入物を得ている.したがって,あるシステムの有効性とは,ある時点での産出物や満足感を測定するといった伝統的なアプローチと対比して,システム・レベルの基準で考えるということができる.そこでBennis(1962)は組織の健全の妥当な指標について以下の3つの基準を提唱している.
1 順応性:問題を解決し,変化する環境の要請に柔軟に反応できる能力.
2 一体感:組織とは何か,その目標は何か,何をなすべきかということについての組織の側における知識と洞察.つまり,どの程度,組織の目標は組織メンバーにとって理解され,また広く共有されているか.どの程度,組織メンバーによるその組織の見方は他の人たちのその組織の見方と一致しているか.
3 現実をみきわめる能力:環境,特にその組織の機能と関係のある環境の実体をさぐり出し,正確に知覚し,正しく解釈する能力.
4 統合:以上の3つの根底にある第4の基準は,全体組織の中の各部分間の「統合」状態である.つまり,各部分の目的が互いに齟齬しないということである.
このようにシステム・レベルからみた組織の有効性は複合基準で判断される以上,適所に適材を選び,それを訓練さえすれば有効性は保証されると考えるのは誤りであろう.労使が相互に満足できる心理的契約を結んだり,集団間の競争を減らしたり,リーダーシップ訓練を行なったり,正しい組織構造を作るだけで有効性が保証されると考えるのも誤りであろう.
経営組織の設計においては,その運営におけると同じように,全体的能率が指導基準でなければならない.実際には,多くの管理の分析は,単一の基準を選択することから始まり,それを管理の状況に適用して,一つの勧告に達するにいたる.ところが一方,それと同等に妥当であるが相矛盾する基準が存在し,それは同等の理由で適用できるが異なる結果をもたらすという事実は,便利なことに無視される.それらに重みをどのように割り当てうるかを決めるために研究開始すること,が必要とされる.
そこで,Mayo は集団相互間に存在する協働意欲の減退という現象を管理問題にお再検討によって解決しようとしたのである.彼は,社会的・人間的能力をもつ管理者が,組織のなかに協働関係をもった集団を作り出すという方法を主張する.この点で彼は,人間を連帯的・献身的・感情的にとらえる管理の必要性を主張したのである.
Roethlisberger(1939,1941) は,企業を経済目的遂行の組織だけでなく,そこで働く人間・集団を効果的に協力させる人間的な組織とみる.人間の協働が感情の問題であると主張した.(Etzioni,Amitai,1988 は,Socialbonds は競争の社会的抑圧を明らかにした).
感情の表明は,その人の個人的・社会的背景に起因し,その人を取り巻く社会的脈絡から切り離しては理解できない.以上の立場に立って,彼は組織における人間問題を,1 組織内のコミュニケーションの問題,2組織内の均衡状態の問題,3 個々人を状況に有効に適応せしめる問題として扱う.
個人は,技術的,社会的,論理的な才能と態度・信念・生活様式をもって職場状況に置かれる.個人は,その経歴と経験という過去の状況に応じて職場に特定の希望と期待をもつ.さらに,個人は特定の人々と働き,一定の相互に規定・容認された人間関係を作る.また,職場状況や家庭関係といった現在の状況にも影響される.個人の満足・不満足は,彼が以上のような状況に対する要求とその状況が課す要求に関係する.これらが調和しなければ均衡を崩し,不満をもち,協働への意欲を失い,その能力を十分に発揮できない.その場合,(1) 個人が要求を修正する.(2) 状況の変革により要求を充足する.(3) この両者,といういずれかの方法で均衡が回復される.
組織内の人々の相互関係は,成文化された規則や集団の日常慣例のなかで承認・確立している.これは人間組織の公式的な側面で,そこで費用・能率の論理 (logic of cost and efficiency)が貫徹し,それによって評価される.このような公式組織のほかに,個々人は相互に親密な関係によって自然発生的な社会集団=非公式組織も形成している.この非公式組織には,(1) 組織的には集団の一員であることを意識させ,対外には集団を単一体とする信念の体系をもち,(2) 集団構成員を自動的に協力させる一定の態度あるいは行動の規範・慣例・常規をもつ,という共通の性質がある.そこには感情の論理(logic of sentiment)が貫徹し,構成員間に安定感・帰属感・一体感を醸成するという役割を担っている.以上のように,個々人の相互作用として公式組織は人々を仕事上の能率基準で評価する体系と,非公式組織は人々を社会的行動規範で評価する体系をもっている.両側面における行動のパターンと価値基準は相互に関係・依存しており,それが均衡・調和しているときに効果的な協働が確保できるのである.
人間関係論の批判は,例えば,Blumberg,P.(1968)は,生産性とモラールの上昇を説明するのは,実験室の労働者が労働条件の設定に決定的な役割を演じたことにあり,実験室には小規模だが純正な労働者参加が導入されており,実験室における改善に貢献したのはこの参加型管理という要素であったと結論づけている.意思決定への参加は限られた範囲であったが,「権力構造の変化(自主管理)は心理的次元(仕事に対する責任感と一体感の増大)およびスティタスの次元(経営側との社会的距離の縮小)とを通じて作用し,著しい改善を生んた」のであると指摘している.
人間関係論が組織における人的要因の重要性を指摘して以来,動機づけや集団行動の研究が活発化した.これらの理論は,1950年代以降急速かつ広範に展開した行動科学の成果を踏まえたものである.これには,人間を行動に駆り立てる要因を人間の内側からとらえ体系化しようとするMaslow(1954) の「欲求階層説」や McGregor(1960) の「X-Y理論」と,人間の外側にある要因によって体系化しようとする Herzberg (1966,1967) の「動機づけ衛生理論」である.さらに,個人と組織の統合を意図したArgyris(1957)の「未成熟-成熟理論」や人間の欲求や動機づけを直接検討していないが,一定の組織形態のもとで人間が示す反応・行動に関心をもっていたLikert(1967)の「システム理論」が含まれる.以上,ある種の発達的観点から,McClelland(1961,1976),Alderfer(1972)の欲求分類を含めて,表 10-1 に要約することができる.
表 10-1 Maslow, Alderfer, McClelland, Herzberg による
基本的動機カテゴリーの比較
Adapted from E.H.Schein(1980),Table 5.1
Likert は,個人の動機づけではなく,集団の動機づけを目的とした理論を提起した.そこでは,伝統的なマン・ツー・マン型組織に代わって,組織全体が「連結ピン」で結合される複数の集団に分けられ,そのことで上下の意思疎通が促進される「複合重複集団組織」が集団の潜在力を発揮させるものとして評価される.そして上司だけてなく各構成員が高い業績目標をもつべきことが主張され,それは強制されたものであってはならず,「従業員自身の欲求が満足させられるような高水準の目標を従業員が自ら設定できるようなメカニズムをつくりだすことが必要」である.システムでは,このメカニズムは集団的意思決定と重複集団組織によって提供されているのである.
表 10-2 は,Likert が管理方式を区分する指標の一例である.
Adapted from Likert,R.(1967).
以上の成果を踏まえて登場したのは人的資源論である.Miles (1975) は「参加は公的な権威への抵抗を和らげる潤滑油」とみなし,参加それ自体が有効とはしない.それに対して,「人々の価値と能力に関する基本的な仮説,つまりすべての組織構成員を未開発な資源の宝庫」ととらえるのである.(表 10-3)
表 10-3 参加型リーダーシップの2つのモデル
Adapted from Miles,R.E.,"Human Relations or Human Resources?",pp.151.
人的資源は,身体的な技能やエネルギーだけでなく,創造力と責任行動・自己管理された行動・自己統制された行動をとる能力を含んでいる.そこでの管理者の職務は,命令したり協力を確保するだけでなく,配下のあるすべての資源を利用できる環境を作ることにある.その際問題となるのが参加である.
March & Olsen(1979) は組織,参加者間の価値前提に一貫性がなく,目標が不明瞭な状況下での組織的意思決定過程を研究した.彼らによれば組織には,相互にルースに結合された(loosely coupled)問題,解,参加者,選択機会の流れがあり,どの選択機会に誰が参加できるのか,どの選択機会でどのような問題を取り上げることができるのかは,組織構造に依存するが,その因果関係はルースである.したがって組織の意思決定過程は,あたかもごみ箱の中で4つの要素が出合うようになされることになる.彼らはこのモデルを「ごみ箱モデル」(Garbedge Can Model)と名づけ,コンピュータ・シミュレーションを利用して,組織的意思決定を研究した.
問題点 - 組織の有効性 (organizational effectiveness)
高い業績と同時に成員個々人の大きな満足を達成している集団を効果的な集団という.成員の満足を犠牲にしていくら短期的に生産性を上げえても,不満の高まりはやがて生産活動を低下させるにいたるからである. どのような管理運営が集団の効果性 (group effectiveness) を高めるかについて,高生産を志向する規範と高い凝集性,円滑で正確なコミュニケーション,参画感を可能にする勢力構造,課題遂行機能と集団維持機能と共によく果たすリーダーシップ・スタイルなどなど多くのことが提唱されてきたのである.
すべての要素を調和的に処理しないために危機が生ずれば,疑いもなく,そのときこそ全体を感得する技量のある管理者が修正行動をおこなわねばならない.しかし多くの場合は,共通の全体感が明白でなく,また事実あっても,効果的でないこともある.(注 10-1)
例えば,1963年のHaire,Ghiselli,Porterの先駆的な研究によると,彼らが調査した14カ国は相違点よりもむしろより多くの類似点をもっていたが,そうした国は産業系列ではなくむしろ民族系列の一群であった.Hofstede,G.(1980) は,アメリカの経営学者やマネジャーによって強力に推奨された参加型の管理アプローチ- Y理論,システム4,マネジリアル・グリッド(managerial grid)など - が,すべての文化に適合するものではないと結論づけた.権力格差の大きい文化にいる従業員は,マネジャーが指揮してくれることを期待し,彼らは自由裁量の決定権を任されることを不快に感じるようになる.文化的に参加型管理がよく合う国 (アメリカ,イギリス,スウェーデンなど)のなかでも,組織は現地文化に適合した参加形態を採用しなければならない (Foy,N.,& Gadon,H.,HBR,May-June 1976:71-84).
文化的に適合したリーダーシップ以外に,何が高い労働生産性と職務満足を引き起こすのであろうか.組織は,望ましい行動をどのように維持するのであろうか.従業員や彼らの環境のなかのどのような力が,かれらの行動に刺激を与えたり,やる気をなくさせるのであろうか.それらが普遍的であるか,それとも文化制約的であるのかどうかを確認しなければならない.(N.J.Adler,1991)
組織全体の有効性という観点からみた統制は,けっして瑣末なことではなく,むしろ決定的に重要である.したがって,全体という観点がつねに支配的であるのは,能率- それには結局のところ有効性がふくまれる - との関連においてである.
異なる組織文化は,問題解決の基準に対する重みづけが異なり,したがって,ほとんど確実に異なった結論に達する原因は,コミュニケーションの問題である.たとえば,一つには何年かにわたって組織のメンバーが一連の共通の経験をする結果創り出され,一つには,組織の初期の経験からくる理念あるいは,中核となる少数の個人影響から作り出される共通の視点は,それを共有する人の間のコミュニケーションの効率を高めるが,異なった体系をもった人たちとのコミュニケーションの効率を減殺する.
これまで「組織の有効性」という言葉を随所で使ってきたが,それを評価することは,本来は大変あいまいで複雑である.個人にせよ,集団にせよ,組織にせよ,目標がただ1つしかない場合には,その目標に向かっての進歩を測ることはたやすい.たが,その場合でもなお2つの問題がおこってくる.1 もしその個人,集団,組織が選んだ目標が誤ったものであったらどうであろうか. 2 複数の目標が同時に存在し,組織の最終的機能を満たしながら,目標間に有効性の基準とする優先順位をつけることは,意外に複雑な過程である.
すべてのシステムは複数の機能を持ち,かつある環境内に存在し,そこからさまざまな投入物を得ている.したがって,あるシステムの有効性とは,ある時点での産出物や満足感を測定するといった伝統的なアプローチと対比して,システム・レベルの基準で考えるということができる.そこでBennis(1962)は組織の健全の妥当な指標について以下の3つの基準を提唱している.
1 順応性:問題を解決し,変化する環境の要請に柔軟に反応できる能力.
2 一体感:組織とは何か,その目標は何か,何をなすべきかということについての組織の側における知識と洞察.つまり,どの程度,組織の目標は組織メンバーにとって理解され,また広く共有されているか.どの程度,組織メンバーによるその組織の見方は他の人たちのその組織の見方と一致しているか.
3 現実をみきわめる能力:環境,特にその組織の機能と関係のある環境の実体をさぐり出し,正確に知覚し,正しく解釈する能力.
4 統合:以上の3つの根底にある第4の基準は,全体組織の中の各部分間の「統合」状態である.つまり,各部分の目的が互いに齟齬しないということである.
このようにシステム・レベルからみた組織の有効性は複合基準で判断される以上,適所に適材を選び,それを訓練さえすれば有効性は保証されると考えるのは誤りであろう.労使が相互に満足できる心理的契約を結んだり,集団間の競争を減らしたり,リーダーシップ訓練を行なったり,正しい組織構造を作るだけで有効性が保証されると考えるのも誤りであろう.
経営組織の設計においては,その運営におけると同じように,全体的能率が指導基準でなければならない.実際には,多くの管理の分析は,単一の基準を選択することから始まり,それを管理の状況に適用して,一つの勧告に達するにいたる.ところが一方,それと同等に妥当であるが相矛盾する基準が存在し,それは同等の理由で適用できるが異なる結果をもたらすという事実は,便利なことに無視される.それらに重みをどのように割り当てうるかを決めるために研究開始すること,が必要とされる.
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